2008年01月22日
プエルトリコの位置
どこにあるか知ってます?
プエルトリコ(西・英 Puerto Rico) は、カリブ海北東に位置するアメリカ合衆国の自治的・未編入領域であり、コモンウェルスという政治的地位にある事実上の植民地である。スペイン語のプエルト・リコは「豊かな港、美しい港」という意味。
プエルトリコ本島、ビエケス島、クレブラ島、ドミニカ共和国との間のモナ海峡にあるモナ島などから構成される。ヴァージン海峡を隔てて東にヴァージン諸島と、モナ海峡を隔てて西にドミニカ共和国と接する。
正式名称はスペイン語で、Estado Libre Asociado de Puerto Rico(エスタード・リブレ・アソシアード・デ・プレルト・リコ。プエルトリコ自由連合州)。通称 Puerto Rico。
公式の英語表記は、Commonwealth of Puerto Rico(プエルトリコ自由連合州)。通称 Puerto Rico。
日本語の表記は、プエルトリコまたはプエルト・リコ。かつて先住民のタイノ族によってこの島はボリケン(Borikén)、またはボリンケン(Borinquen)と呼ばれていた。ボリンケンとは「勇敢なる君主の国」を意味する。
プエルトリコの名前は、一説にはクリストファー・コロンブス(クリストバル・コロン)がサンフアンに入港した時に¡Que Puerto Rico!(なんて美しい港なんだ!)と叫んだことに由来するといわれている。米西戦争後、アメリカに併合されてからはポートリコ(Port Rico)と英語化されてきたが、プエルトリコ人の感情に配慮して1932年に英語でもプエルトリコ(Puerto Rico)と表記されるようになった。
カリブ海周辺の島々で生活していたアラワク族系のタイノ人が先住民族であるが、1493年のクリストファー・コロンブスによる到着以来、スペインやアメリカを始めとする西洋人によって開発が続けられ現在に至る。当初、プエルトリコ島は「聖ヨハネ(サンフアン)島」と呼ばれサンフアン市街を「豊かな港(プエルト・リコ、プエルトが港(puertoは英語のPort)、リコは豊かな(ricoは英語のRich)という意味)」と呼ばれていたが、いつのまにか入れ替わってしまい、今の呼称になっている。[要出典]
コロンバスにより既に発見されていたが、本格的な征服は遅れて1508年スペインから総督としてやって来たフアン・ポンセ・デ・レオンらのコンキスタドールによって征服がなされた。3万人ほどいたといわれているタイノ人は征服され、プエルトリコへの本格的な入植がはじまった。ポンセは「サン・フアン・プエルト・リコ」と呼んだ。
最初の入植地はサンフアン港の近くにあるカパラに造られたが、1521年にオールド・サンフアンに移された。スペイン人はインディヘナや黒人奴隷を使って金を採掘したが、1570年代に金が掘りつくされると以降はラテンアメリカでも珍しい定住型の農業植民地となり、この時期には生姜が輸出されるようになった。また同時にスペインにとって、インディアスの植民地を防衛するために重要な植民地となったこの島は、16世紀後半からはヌエバ・エスパーニャ副王領からの収益で要塞化され、エル・モロ要塞(El Morro)の建設も開始された。
16世紀?18世紀にはイギリスやオランダの海賊の攻撃を何度か受け、フランシス・ドレイク卿の襲撃を撃退したこともあったが、一貫してスペインの植民地だった。1797年のイギリスによる攻撃を最後に以降100年近く平和の時期が訪れる。
ラテンアメリカ大陸部でシモン・ボリバルやホセ・デ・サン=マルティンらが解放戦争を行う中、キューバと共にスペインの僅かな植民地の残りとなったプエルトリコには、ラテンアメリカ各地からの王党派の難民が多く亡命し、1833年には人口33万人を数えた。
19世紀後半になると、同様にスペインの植民地だったキューバと連動した独立運動が起こり、スペイン当局は1873年には奴隷制を廃止したものの、もはやプエルトリコ人の独立への願いを止めることは出来なかった。やがてキューバの独立戦争がはじまると、プエルトリコでも反乱が起き、焦ったスペイン当局により、1898年3月に自治が認められるが、同年4月にハバナで戦艦メイン号の謎の爆沈事件により勃発した米西戦争により、プエルトリコは8月にはアメリカに占領され、終結のパリ条約によりアメリカ合衆国の保護領になった。
戦後、キューバには合衆国の傀儡政権の下の独立が認められたが、プエルトリコは完全にアメリカによって占領され、1898年3月に生まれた自治政府は解体された。島には合衆国の企業が進出した。1916年に島民はアメリカ国民としての市民権を得たが、合衆国本国への選挙権は与えられなかった。その後プエルトリコでは独立運動が激化し、合衆国のニューヨークへ渡ったプエルトリコ移民の手により独立のためのテロが繰り広げられた。事態を重く見た連邦政府は1952年にはアメリカのコモンウェルスとして内政自治権を付与した。
その後は州昇格派、自治派、完全独立派が三つ巴の争いを繰り広げているが、現在のところ強いのは自治派や州昇格派であり、1998年にアメリカ合衆国の51番目の州昇格を巡る住民投票が行われたが否決された。
(以上、ウィキペディアより引用)
ほぼアメリカですね…。
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- at 09:45