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2008年02月22日

ラム酒

お菓子のアクセントには欠かせませんね!

ラム酒(ラムしゅ rum)は、サトウキビを原料として作られる、西インド諸島原産の蒸留酒。サトウキビに含まれる糖蜜を発酵・蒸留して作られる。フランス語では rhum と綴る。スペイン語・ポルトガル語ではロン ( ron ) と呼ぶ。

発祥はバルバドス島とされる。島の住民たちがこの酒を飲んで騒いでいる様子を、イギリス人が rumballion (デボンシャー方言で「興奮」の意)と表現したのが名の由来という。発祥はプエルトリコ島とする説もあるが、いずれにしてもカリブ海原産ではあるようだ(カリブ海の海賊たちの物語の中に登場するお酒といえば、これである)。

その後、サトウキビ栽培地域の拡大に伴いラム酒も広まっていき、南北アメリカやアフリカでも作られるようになった。

18世紀になるとラムはイギリス海軍の支給品となった。しかしラムは強い酒だったため、エドワード・バーノンという提督は水割りラムを支給することにした。部下たちはこの薄いラムのことを、グログラムという生地でできたコートを着ていた提督のあだ名からグロッグと呼ぶようになった。現在でも水割りラムはグロッグと呼ばれ、泥酔することはグロッギーという。日本で使われるグロッキーという言葉は、このグロッギーがなまったものである。

1805年のトラファルガー海戦で戦死したホレーショ・ネルソン提督の遺体は、腐敗を防ぐためラム酒の樽に漬けて本国に運ばれた。このためラムは「ネルソンの血」と呼ばれることもある。ちなみにそのネルソンを漬けたラム酒は、水兵たちが盗み飲みしてしまったため、帰国の際には樽は空っぽになっていたという。一説によると、偉大なネルソンにあやかろうとした行動だったという。

ラム酒は中南米では非常に多く飲まれている。特に、コーラで割ったものは、キューバ・リブレ(Cuba libre, スペイン語ではクーバ・リブレ)と呼ばれ、最もポピュラーな飲み方である。その他の利用としてケーキ、タルト等焼き菓子の風味づけに多用される。

日本では明治頃から小笠原で飲まれており、1992年に東京都小笠原村の役場・農協・商工会が小笠原ラム・リキュールという会社を
設立し母島で国産のラム酒が生産されている。
(以上、ウィキペディアより引用)

あの風味が好きです。

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2008年01月22日

プエルトリコの位置

どこにあるか知ってます?

プエルトリコ(西・英 Puerto Rico) は、カリブ海北東に位置するアメリカ合衆国の自治的・未編入領域であり、コモンウェルスという政治的地位にある事実上の植民地である。スペイン語のプエルト・リコは「豊かな港、美しい港」という意味。

プエルトリコ本島、ビエケス島、クレブラ島、ドミニカ共和国との間のモナ海峡にあるモナ島などから構成される。ヴァージン海峡を隔てて東にヴァージン諸島と、モナ海峡を隔てて西にドミニカ共和国と接する。

正式名称はスペイン語で、Estado Libre Asociado de Puerto Rico(エスタード・リブレ・アソシアード・デ・プレルト・リコ。プエルトリコ自由連合州)。通称 Puerto Rico。

公式の英語表記は、Commonwealth of Puerto Rico(プエルトリコ自由連合州)。通称 Puerto Rico。

日本語の表記は、プエルトリコまたはプエルト・リコ。かつて先住民のタイノ族によってこの島はボリケン(Borikén)、またはボリンケン(Borinquen)と呼ばれていた。ボリンケンとは「勇敢なる君主の国」を意味する。

プエルトリコの名前は、一説にはクリストファー・コロンブス(クリストバル・コロン)がサンフアンに入港した時に¡Que Puerto Rico!(なんて美しい港なんだ!)と叫んだことに由来するといわれている。米西戦争後、アメリカに併合されてからはポートリコ(Port Rico)と英語化されてきたが、プエルトリコ人の感情に配慮して1932年に英語でもプエルトリコ(Puerto Rico)と表記されるようになった。

カリブ海周辺の島々で生活していたアラワク族系のタイノ人が先住民族であるが、1493年のクリストファー・コロンブスによる到着以来、スペインやアメリカを始めとする西洋人によって開発が続けられ現在に至る。当初、プエルトリコ島は「聖ヨハネ(サンフアン)島」と呼ばれサンフアン市街を「豊かな港(プエルト・リコ、プエルトが港(puertoは英語のPort)、リコは豊かな(ricoは英語のRich)という意味)」と呼ばれていたが、いつのまにか入れ替わってしまい、今の呼称になっている。[要出典]

コロンバスにより既に発見されていたが、本格的な征服は遅れて1508年スペインから総督としてやって来たフアン・ポンセ・デ・レオンらのコンキスタドールによって征服がなされた。3万人ほどいたといわれているタイノ人は征服され、プエルトリコへの本格的な入植がはじまった。ポンセは「サン・フアン・プエルト・リコ」と呼んだ。

最初の入植地はサンフアン港の近くにあるカパラに造られたが、1521年にオールド・サンフアンに移された。スペイン人はインディヘナや黒人奴隷を使って金を採掘したが、1570年代に金が掘りつくされると以降はラテンアメリカでも珍しい定住型の農業植民地となり、この時期には生姜が輸出されるようになった。また同時にスペインにとって、インディアスの植民地を防衛するために重要な植民地となったこの島は、16世紀後半からはヌエバ・エスパーニャ副王領からの収益で要塞化され、エル・モロ要塞(El Morro)の建設も開始された。

16世紀?18世紀にはイギリスやオランダの海賊の攻撃を何度か受け、フランシス・ドレイク卿の襲撃を撃退したこともあったが、一貫してスペインの植民地だった。1797年のイギリスによる攻撃を最後に以降100年近く平和の時期が訪れる。

ラテンアメリカ大陸部でシモン・ボリバルやホセ・デ・サン=マルティンらが解放戦争を行う中、キューバと共にスペインの僅かな植民地の残りとなったプエルトリコには、ラテンアメリカ各地からの王党派の難民が多く亡命し、1833年には人口33万人を数えた。

19世紀後半になると、同様にスペインの植民地だったキューバと連動した独立運動が起こり、スペイン当局は1873年には奴隷制を廃止したものの、もはやプエルトリコ人の独立への願いを止めることは出来なかった。やがてキューバの独立戦争がはじまると、プエルトリコでも反乱が起き、焦ったスペイン当局により、1898年3月に自治が認められるが、同年4月にハバナで戦艦メイン号の謎の爆沈事件により勃発した米西戦争により、プエルトリコは8月にはアメリカに占領され、終結のパリ条約によりアメリカ合衆国の保護領になった。

戦後、キューバには合衆国の傀儡政権の下の独立が認められたが、プエルトリコは完全にアメリカによって占領され、1898年3月に生まれた自治政府は解体された。島には合衆国の企業が進出した。1916年に島民はアメリカ国民としての市民権を得たが、合衆国本国への選挙権は与えられなかった。その後プエルトリコでは独立運動が激化し、合衆国のニューヨークへ渡ったプエルトリコ移民の手により独立のためのテロが繰り広げられた。事態を重く見た連邦政府は1952年にはアメリカのコモンウェルスとして内政自治権を付与した。

その後は州昇格派、自治派、完全独立派が三つ巴の争いを繰り広げているが、現在のところ強いのは自治派や州昇格派であり、1998年にアメリカ合衆国の51番目の州昇格を巡る住民投票が行われたが否決された。
(以上、ウィキペディアより引用)

ほぼアメリカですね…。

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2007年12月03日

ブキャナンのうわさ。

結婚しなかった大統領。
こんな人が居たんだ。まだまだ勉強不足ですね。

ジェームズ・ブキャナン(James Buchanan, 1791年4月23日 - 1868年6月1日)は、アメリカ合衆国の第15代大統領である。結婚しなかった唯一の大統領で、ゲイとの風評もあった。彼は、国が分裂と内戦へ進むのを防ぐための試みを講じなかったことで非難された。現在も世論調査では、きまって、人気最下位に位置づけられる。

ブキャナンは1791年4月23日ペンシルバニア州フランクリン郡マーセスバーグの近く、ケーブ・ギャップで生まれた。彼は1799年にマーセスバーグに移り住んでそこで成長した。村の専門学校に入学し、その後ペンシルバニア州カーライルのディキンソン大学を卒業。1809年にはペンシルバニア州ランカスターへ転居した。1812年に法曹界へ入り、ランカスターで弁護士業を始めた。1812年に米英戦争が起きると、最初の志願兵の一人としてボルティモア防衛戦に参加した。1814年から1815年までペンシルバニア州選出下院議員だった。その後第17から次の4つの議会(1821年3月4日 - 1831年3月3日)に選任された。第21議会では司法部委員会の議長を務めた。1832年から1834年まで駐ロシア大使を務めた。

ウィリアム・ウィルキンスの辞職によって生じた空席を満たすために、ブキャナンは1834年12月6日民主党の上院議員として選出された。1837年と1843年に再選され、閣僚に任命されたのに伴い1845年3月5日に辞職した。彼は外交関係委員会の議長だった。(第24から第26議会)

ブキャナンは上院議員ウィリアム・ルーファス・キングと親しい友達で、数年間ワシントンD.C.で彼と暮らした。彼らが同性愛の関係を持っていたという推測はその時に始まり、歴史家によって周期的に復活した。しかし、それを示す決定的な証拠は欠けている。

1845年から1849年までジェームズ・ポーク大統領の国務長官を、その後1853年から1856年まで駐英国大使を務めた。彼は1856年に大統領に選出され、1857年3月4日から1861年3月4日まで在任した。

なお、1859年(安政6年)には日本の江戸幕府における神奈川奉行兼外国奉行で、日米修好通商条約批准書交換使節として渡米した新見正興と謁見した。大統領として特に実績のない彼にとっては、歴史舞台に登場する数少ない出来事である。

大統領官邸内での雑事は姪に任せ、それがファーストレディーと呼ばれ、現在の大統領夫人の別名の起源となった。

彼は引退しペンシルバニア州ランカスターの近くの自宅「ウィートランド」で暮らした。1868年6月1日に死去し、ランカスターのウッドワード・ヒル墓地に埋葬された。子孫の血統は途絶えている

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2007年11月09日

テロメアという染色体

不思議な生態ですね。今後も楽しみな染色体です。

テロメアは特徴的な繰り返し配列をもつDNAと、様々なタンパク質からなる構造である。真核生物の染色体は線状であるため末端が存在し、この部位はDNA分解酵素や不適切なDNA修復から保護される必要がある。テロメアはその特異な構造により、染色体の安定性を保つ働きをする。原核生物の染色体は環状で末端がないためテロメアも存在しない。また、テロメアは細胞分裂における染色体の正常な分配に必要とされる。

テロメアを欠いた染色体は不安定になり、分解や末端どうしの異常な融合がおこる。このような染色体の不安定化は発ガンの原因となる。テロメアの伸長はテロメラーゼと呼ばれる酵素によって行われる。この酵素はヒトの体細胞では発現していないか、弱い活性しかもたない。そのため、ヒトの体細胞を取り出して培養すると、細胞分裂のたびにテロメアが短くなる。テロメアが短くなると、細胞は増殖を止めた細胞老化と呼ばれる状態になる。細胞老化は細胞分裂を止めることで、テロメア欠失による染色体の不安定化を阻止し、発ガンなどから細胞を守る働きがあると考えられている。また老化した動物やクローン羊ドリーではテロメアが短かったことが報告されており、テロメア短縮による細胞の老化が、個体の老化の原因となることが示唆されているが、個体老化とテロメア短縮による細胞老化との関連性は明らかではない。

なお、テロメアの構造・長さ・配列・維持機構などは生物種によって多様であり、本項目では主にヒト、マウス、出芽酵母について述べる。


テロメア研究の略史
テロメアは1930年代に細胞遺伝学的研究から発見、定義された。分子生物学の発展によりDNAの複製機構が明らかになると、直鎖状DNAの複製問題が浮上したが、これはテロメア合成酵素であるテロメラーゼの発見によって1985年に解決をみた。現在ではより詳細な分子機構の研究が行われている。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)
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2007年10月18日

科学の進歩について

科学の進歩はめざましいものですよね。

世の中はこの調子でずっと進歩しつづけるのでしょうか

(参考)
理化学研究所免疫・アレルギー科学総合研究センターの佐藤克明チームリーダーらは17日、白血球の一種である樹状細胞の機能を制御することで、マウスのアレルギー性ぜんそくや骨髄移植で引き起こされる拒絶反応を抑制することに世界で初めて成功したと発表した。

 樹状細胞は、別の白血球であるT細胞に異物の情報(抗原)を提示する役割を担う。研究チームは、独自に開発した免疫機能を持たせた「制御性樹状細胞」を投与することで免疫をコントロールし、これらの免疫によって引き起こされる病気を抑制した。

 アレルギー性ぜんそくは、マウスにあらかじめアレルギー抗原として卵白アルブミンを腹腔(ふくくう)内投与し抗体を持たせ、その後、卵白アルブミンを吸入させることで誘発させた。

 T細胞の機能を抑える効果のある制御性樹状細胞を静脈注射し、アレルギー性ぜんそくを治療した。

 また、マウスに白血病などの治療効果が高いとされる骨髄細胞を遺伝子の異なるマウスから移植し、合併症である「移植片対宿主病(GVHD)」を引き起こさせた。

 これに対して制御性樹状細胞を投与したところ、GVHDの重症度が著しく軽減した。